バンド紹介

 

バンド名の由来

1950年頃「ビル・クリフトン、&ディキシーマウンテンボーイズ」のメンバー、ジョニー・クラークさんの居られた、かってのバンド『グリーンマウンテンボーイズ』が気に入り無断で使わせて頂いています

プロフィール

アメリカからやって来た「フォーク・ムーブメント」の嵐が、日本の若者たちに、多大な影響を与えたのは1960年代の事でした

「ピーター・ポール&マリー」「キングストン・トリオ」「ブラザース・フォー」「ボブ・ディラン」「ルーフトップ・シンガース」「ハイウェイメン」etc当時、兵庫県の田舎に住む少年たち(私のこと)も、少なからず、影響をうけ、「ギターを弾けば、女の娘にもてる!」とばかり淡い下心を抱き、近所の鼻たれ小僧たちと、ギターを奏でていました

高校生になると結構ギターの上手い奴がいて、いろんなテクニックを教えてくれました。決定的な出来事は、1971年5月2日、兵庫県「姫路フーテナニー」『ナターシャセブン』登場でした。

高石ともや(30)城田じゅんじ(21)金海たかひろ(19)のスリージェネレーションからなる彼らの,荒々しいブルーグラスに9ポンドのハンマーで叩かれた如くのショックを受けた少年Aは、その日以来「ナターシャー命」と心に決め、自分たちのスタイルを求め、日夜研鑚に努めています。

現在メンバーは5人〜6人で「5弦バンジョー」「フラットマンドリン」「ドブロ・ギター」「ウッド・ベース」「アコースティック・ギター」「オート・ハープ」etcを使用したストリングバンドです。

アメリカ生まれの「ブルーグラスミュージック」「カーターファミリーソング」日本では「高石ともや&ナターシャーセブン」「フィールド・フォーク」「日本民謡」「唱歌」etcいろんなジャンルに取り組んでいます。

2005年7月、初めてのオリジナルアルバム『春来れば』(高石とし子参加)制作、そして、2006年8月永年の憧れであった「ナッシュヴィル」や「カーターフォールド」を夫婦で訪ね、アール・スクラッグスさん、ビル・クリフトンさん、リロイ・トロイさん、そしてカーターファミリーの皆さんetcに会い、改めて、音楽の持つ偉大さ素晴らしさに目覚め、オリジナルアルバム第2弾制作に向け、日々、練習を重ねています

レパートリー

「高石ともや&ナターシャ・セブン」「ジョッシュ大塚」さん「稲葉和裕」さん達、日本人プレイヤーを目標にしています。又、「アメリカン・トラッド」や「カーター・ファミリーソング」を私なりの解釈(日本語)で歌っています。

メンバー紹介

メンバー全員にこんな質問をしてみました。


1.最も影響を受けたミュージシャン
2.最も影響を受けた歌、曲
3.趣味
4.座右の銘
          ひろしくん
担当:フラット・マンドリン、ギター、ウッド・ベース、ボーカル

1956年生まれのB型長男です

■質問の回答

1 滝廉太郎

2 荒城の月

3 音楽、知らない町へ行くこと

4 音楽とは緻密さと大胆さを兼ね備えたブルトーザーでお茶を入れる様なものだ



彼が高校2年生の頃初めて出会いました。町内の音楽会で同級生たちとのバンドで楽しそうにエレキベースを弾いていたのを思い出します。

出会ってから直ぐ、ウッド・ベースを!と決めましたが、当時、楽器も無く、丁度「生野高校に有る」と人づてに聞き、二人で職員室に出向くと、野球部の顧問を紹介されました。野球のベースと勘違いされたらしい?そんな時代でした。
決して慌てず、急がず、熱いものが苦手、音楽に対する姿勢は他の追従を許さず?バンドの要として日々、コーラスや、アレンジetc
頑張ってくれています。
悲鳴にも似たテナーボイス、下り切らないバリトンボイス、トテトテのマンドリンブレークで、バンドを支えてくれています。
きみあきくん 

担当:ウッド・ベース、ギター、ボーカル

1956年生まれのo型長男です

■質問の回答

1 隣のお兄さん

2 小さな箱

3 庭いじり

4 遠望楽観
彼が生まれた時からのなが〜い付き合い。
小さい時は「ソフトボール」「水浴び」「魚とり」「かくれんぼ」など殆どの遊びは教えていました。(悪い事も)
中学・高校は、テニス部に所属、大学生活は、岡山で、よくお邪魔しましたネ〜(崩れかけた、夢荘アパートに)そんな彼も、就職で地元に帰ってきたのを、これ幸いにゲット!それ以来も、「ブルーグラス」ごっこしています。

腰の低い姿勢,他人を傷つけない言動多い方に賛成!と、ばかり優柔不断の、性格?をフルに活かしタイトなリズムとベースボーカルで、陰からバンドを支えてくれています。

私としては、ハードなスラップベース弾いて欲しいです。
    ひとみさん

担当:ギター・オートハープ・ボーカル

1957年生まれのA型末っ子です

■質問の回答

1高石とし子さん

2,別れの恋歌その1

3,野菜作り・スイミング・料理

4,一升枡は一升枡





結婚して約30年妹みたいな妻も今では父親以上の存在感!!
子供の頃から歌好きで中f学校ではコーラス部高校生になるとナターシャ・セブンの洗礼を受け女の娘同士でバンドを組みギターを掻き鳴らしていた。

結婚出産家事育児もようやく一段落つき自分の時間が持てる様になり、バンド活動も本格化持ち前の度胸の良さと美声を活かし日夜「カーター・ファミリー」や「ハリー&ジェニー・ウエスト」を目標に頑張っています。

女性が、社会や政治など色んなところに進出している今日この頃、むさ苦しい?男ばかりのブルーグラスの世界で可憐に咲いた一輪のバラの花!これからも益々光り輝いてくれるものと思います。

  たかしくん

担当:ギター・オートハープ・ボーカル

1951年生まれのo型長男です

■質問の回答

1,ビル・クリフトンさん

2,新聞売りのジミーブラウン

3,詞作り

4,あるがままに




幼い頃からおばあちゃんの影響かラジオから流れて来る三橋美智也、三波春夫、北原謙二、三田明などよく歌っていました。物心ついた中学生の頃からギター演奏に目覚め近所のガキ共を集め歌っていました。

高校生〜社会人となり色んな人たちとの出会いの中20歳の頃「ビル・クリフトン・ミーツ・カントリージェントルメン」でブルーグラスの素晴らしさを知り益々深みに入って行きました。

決定的になったのは1971年「高石ともや&ナターシャセブン」に出合った事です。

若さ溢れる荒々しい彼らのサウンドに完全にKOされメンバーを募り、ブルーグラス漬けの人生が始まりました。



     サポートメンバー      やまだくん

担当:バンジョー・フィドル・ドブロ

1960年6月生まれのAB型長男です

■質問の回答

1.石川 鷹彦

2.フリント ヒル スペシャル

3.バイク・山登り

4.ゴーイング マイ ウェイ


「「フィールドフォークイン丹波」の活動を通じて、存在を知ったのは1973年頃でした。

同じ兵庫県内に暮らし、同じ様な人生観、夢を追い続けている彼、KHBの個性豊かなメンバーの中で一人黙々と「バンジョー」「マンドリン」「フィドル」「ドブロ」etcブルーグラス楽器を弾き続ける彼、決して派手ではありませんが、オーソドックスなスタイルが持ち味
    
地元高校生の頃から、クラスメートと4人組のフォークバンド「ロッキーチャック」結成、北海道の大学では、 地元の人たちとブルーグラスな生活、卒業後大阪で就職したのが運のつき? 篠山の悪友たちとヨリが戻り?現在に至る

本業は誰でも知ってる某大手電器メーカー○○○○。○の社員 
    
休日は大好きな「ブルーグラス音楽」と「音響機材」に埋もれて暮らす日々、これからもコツコツとブルーグラスバンジョーの真髄を極めて下さい
 
    サポートメンバー      おくちゃん

担当:5弦バンジョー・ドブロギター・ギター・ボーカル

1955年生まれのA型長男です

■質問の回答

1 ジェリーガルシア

2 フォギーマウンテンブレークダウン

3 魚釣り

4 好奇心







京都府福知山市在住
彼と初めて会ったのは、’72年4月20日「ナターシャーセブン」福知山公演だったと思います。
当時、彼は18歳くらい?「お互いに変な奴がいるなあ」と思っていたらしい。
狭いブルーグラスの世界、いろんな処で出会い、親しくなり、会社も同じだった、、、
彼も子供の頃から、音楽好きのお姉さんたちの影響で、児童合唱団で歌ったり、ピアノを叩いていたそうです。
小学5年生の頃、市内のギター教室に通い、音楽の素晴らしさに目覚めました。
中学生はブラスバンド部(トランペット担当)高校入学後、ギター好きの友だちを尻目に当時としては、珍しかった、バンジョーに
手を伸ばす。URCレコード「フォーク・キャンプ」のLP、岩井宏さん、坂庭省悟さんたちの弾く「Foggy M,tBreakDown」が強く残っているそうです。そんな彼も、バンジョー抱えて、西東『高石ともやさんのサポート』『グラッシー・セクション』『奥野ファミリー』etc多忙の毎日 。
切れのある、オーソドックスなスタイルのバンジョーサウンドが 持ち味!



Copyright © 2007 グリーン マウンテン ボーイズ All rights reserved