赤色のクリスマス
藤沢優
「最近ことみの様子、おかしくないか?」
放課後、演劇部の部室で岡崎朋也は周りに訊ねた。
今、部室にいるのは朋也を除くと古河渚に藤林杏と椋の三人。
杏は紙パックのジュースを飲みながら何やら参考書を読んでいる。椋は渚相手に得体の知れないトランプ占いをしていて、渚はその占いの結果に一喜一憂している。
春に渚がここの部室に来た頃には、荷物が雑多に置かれて空気も澱んでいた。まるで忘れられた空間のように部屋の中だけ変化が止まっていた。
が、今では渚達の努力の甲斐あってきちんと整理され、何とか部室らしくなっている。止まっていた時間も再び動き出し、壁に掛けられている日めくりカレンダーは残り四分の一程になっていた。
「あの子の様子がおかしいのなんて今に始まった事じゃないでしょ?今更あんた何言ってるの?」
杏は顔を上げると、朋也の問いに爽やかな笑顔で辛辣な答えを返した。その言葉に朋也が唇を歪ませると、杏はごめんなさいとばかりに肩をすくめた。
「で…どうおかしいのよ?」
「ここ最近、避けられているって言うのか…放課後、どこかに行こうって誘ってもすぐに家に帰っちまうんだよな。それに、この部室に顔出しても長居しないだろう?」
「確かに最近は早く家に帰っちゃうわね、あの子」
確かに普段ならば、ことみもこの部室に来ている筈だ。それがここ最近、ことみの姿をここで見た記憶がない。
しばらく沈黙が部屋を包んだ。
開けた窓からは少し涼気を帯びた風が吹き込み、室内の空気を清々しいものに換えていく。時折吹き抜ける強い風が、椋のトランプを吹き飛ばし、その度に椋と渚が飛んでいくトランプを追いかける。
窓の外に拡がる空は透明度を増したライトブルーで、さざ波に似た鰯雲が高い空にゆっくりと泳いでいる。窓から見下ろすと、中庭では園芸部の栽培したリンドウがコバルトブルーの花を咲かせている。
「俺、ことみに何かしたかな?」
「何もシてあげないから不満じゃないの?」
朋也の言葉に杏は意味深に笑う。
「それ、聞き方によっちゃあ物凄くやらしく聞こえるぞ」
「え、それってどういう意味ですか?」
占いとトランプを追いかけるのに没頭していた椋と渚が訊ねる。
「杏、説明してやれ」
「え〜〜…面倒くさいわねぇ……椋、部長!こっちおいで」
杏は椋と渚を呼び寄せ、何やら解説していた。
「お、岡崎くん、えっと…そういう事はだめです!いくら好きでも、恋人でも…まだ私達高校生ですから!正しいお付き合いというものが…」
「そうです岡崎さん、いくらお互いが好きでもそういう事には順序とかがあると思います。あ、でもことみちゃんがそうしたいなら…ことみちゃんの気持ちも大切ですし」
椋と渚は、杏の説明を聞くや否や顔を真っ赤にして朋也に詰め寄り、口々にまくし立てた。
「お前ら!勝手に物事を解釈して誤解して照れて一方的に説教するな!あと杏!お前この二人にどんな説明した!?」
今時、絶滅危惧種に指定したくなるような思春期純情少女隊の過剰な反応と詰問にツッコミながらも、朋也は杏を睨んだ。
「べ〜つ〜にぃ〜」
が、杏はその視線をそらしながら笑顔ではぐらかした。
「まあ、あの子のご主人様はあんたなんだから、しっかり面倒見ときなさい」
「お前らに相談した俺が間違ってたよ」
朋也はそう言い放つと視線を窓の外に向け、大きく溜め息をついた。
遠くに見える山の紅葉がやけに鮮やかに見えた。
■□■□■
そんなやりとりも日々の日常に追われ、すっかり記憶の彼方に飛んでしまったある日の放課後。
校内に鳴り響くチャイムが、全ての授業の終了を知らせる。それを合図に午後の惰眠をむさぼっていた朋也は目を覚ました。
そして瞼を開けて最初に視界に飛び込んできたものは丸い髪飾りと、こちらを覗き込む子供のような二つの目。
「…おい」
「???」
「なぜ、お前がここにいる?」
机の前にしゃがみ込んでジッと朋也を覗き込むことみ。
傍から見るとそれはとても珍妙な風景だと思う。現に周りの生徒達はこちらの様子を遠巻きに奇異な視線を向けている。
「朋也くんに会いに来たの」
だが、ことみは周りの生徒の目も気にせず嬉し恥ずかし系の台詞を言ってのけた。
その台詞に朋也は心くすぐられ、叫びだしそうな思いにかられたが、辛うじてその
衝動を抑えると、鞄とことみの手を掴み、廊下に出た。
「今日はどこにも寄る所はないし、一緒に帰るか?」
杏と椋は委員会で今日は演劇部室に来れないと言っていた。渚も家の手伝いがあると言っていたから部室には誰もいないだろう。誰もいない部室に用はない。
「うん……途中までならいいの」
しかし、ことみの反応は鈍かった。
「…家までじゃ駄目か?」
「駄目じゃないけど…」
そう言うとことみは瞳を伏せる。次の言葉を探すように胸の前で指を組み不規則に動かす。その仕草はまるで隠し事を必死で隠そうとする子供のようだった。
今までなら二人でいる時間を何よりも楽しみしていたことみ。その反応の変化は何を意味しているのだろうか?
「…分かった。じゃあ途中まで一緒に帰ろう」
努めて優しく言うと、ことみの頭に軽く手を置く。
指先に触れた丸い髪飾りが、こつんと音を立てた。
「ごめんなさい…なの」
ことみのその呟きは校内の雑踏に紛れ、朋也の耳には入らなかった。
■□■□■
カレンダーも残り一カ月を切ると吹き抜ける風も急に冷気を増してくる。
昼間でも低い灰色の雲が陽を遮り、外を余計に寒々とした雰囲気に見せていた。
「朋也ー!」
五時間目の授業が終わる早々、教室に杏が飛び込んできた。
授業の内容や教師の説明が睡眠呪文にしか聞こえない朋也は、昼食後は机に突っ伏して寝ていたが杏に頭を掴まれ無理やり起こされる。
「今月の二十四日、空いてる?クリスマスパーティやろ?」
「…お前、受験生だろ?余裕あるな」
寝起きの頭で気の効いたツッコミも浮かばず、朋也は杏の手を振り払いながら呟いた。
「だからこそ、クリスマス位は休養が必要なのよ」
確か杏は短大に進んで将来は保育士を目指すと言っていた。椋は看護系の大学に進学して看護士の仕事に就きたいらしい。渚は専門学校でお菓子作りを勉強して古河パン店でケーキも売りたいと言っていた気がする。
皆それぞれに将来を見据えて自分なりの道を切り開こうとしている。その中で朋也だけがまだこの場所で足踏みをしている気がして、最近では演劇部室の中でも疎外感を感じていた。
ことみはどうするのだろうか?春の特別科学奨学生推薦の話は断ったが、今でも国内外の幾つかの大学から特待生枠での推薦入学の話がきていると聞く。
対して朋也は進学よりも就職を選択し、何度か進路指導室に足を運んではいるが大学卒業者ですら就職の困難なこのご時世に中途半端に進学校に入り、就職の道を選んだ者に与えられる仕事などそうそうある筈もなく、今も進むべき道が定まらずにいる。
「あたし達の事はいいの!あ…それとももうことみと予定してる?」
口を歪ませた下世話な笑みを浮かべ杏は言った。
「んな訳ねーだろ…大体、他の連中の了承はとったのかよ?」
そう言いながら朋也は椋の席を見る。が、椋は席を外していた。
「その点に関しては、放課後まとめて了承とるから。あんたも今日はことみ連れてきなさいよ」
杏は勝手に決めると、自分の教室に戻って行った。
■□■□■
そしてその日の放課後、部室に集まった四人に杏は自分の計画を話す。
「それは楽しそうです。是非やりましょう」
「わぁ、楽しそう。お姉ちゃんやろうやろう」
その計画に渚も椋も賛成してくれた。が、
「あ、でも…」
何か思い出したのか、渚が言いよどむ。
「何、部長?都合悪いの?それとも約束でもあんの?」
「いえ、そうではないんですが…」
「あ〜もう!ハッキリしないわね、この子は!スパッと言いなさい!」
詰め寄る杏に、肩をすくめる渚。この光景だけを見ているとどちらが年上なのか分からなくなってくる。
「実は二十四日は、私の誕生日なんです。それでいつもでしたら、お父さんやお母さんとでお祝いをしているので…」
「…へぇ〜、そ〜なんだ。じゃあ毎年バースデープレゼントとクリスマスプレゼントまとめて一個だけしかもらえなかったクチね」
「はい……ケーキもまとめて一個だけでした」
自分の言葉に自分で落ち込んで、渚は肩を落とす。
「おい、杏。古河の過去の古傷を広げるな」
その様子を見かねて朋也は杏を咎めた。
「…だったらさ、私達も一緒にお祝いしたげる。家族の人と一緒にやりましょ。クリスマス&部長の誕生パーティを」
「えっ?それは嬉しいですけど、いいんですか?」
「あんたとあたし達の中じゃない。盛大にやりましょ!ことみ、あんたも二十四日大丈夫よね?」
「うん、大丈夫なの」
ことみは事のほか嬉しそうに頷いた。そして朋也に向き直る。
「楽しみなの」
その時見せたことみの無垢な微笑みは本当に嬉しそうで、気が付くと朋也もことみに微笑み返していた。
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