想いの欠片 〜美夕〜
藤沢優
思えば……
私が話し掛けた時からですよね
私が変わり始めたのは
そして私達の始まりは
二月 悲しみに触れる季節
「ほら、チリンチリンって弾くんだよ」
祐一は溢れ出しそうな気持ちを押さえながら、そして寒さのためにではなく言葉を震わせながら目の前の少女の手を取る。
「真琴…真琴…」
だが真琴と呼ばれた少女には、既にその言葉は耳に届いていなかった。
それでも目の前にいる青年の何かを伝えようとする真剣さが分かるのか、その唇の動きを光の失いかけた瞳で追い、微かに微笑む。
ふと一筋の風が丘を吹き抜け、草原を舐めた。
その風に引き離されるかの様に真琴の腕が祐一の手から離れ、すとんと落ちた。
チリンッ
鈴が最後の音を奏でて、草の上に落ちた。
それはこの冬起きた奇跡と、一瞬の煌き。そして悲劇の結末。
落ちた鈴は鳴らす主を失い、響無鈴の様に静かにそこに佇んでいた。
いつまでも、いつまでも…
つい先程まで雲の合間から見えていた青空は、薄墨を流した様な重い雲に覆われ既に見えなくなっていた。
不意に一筋、白い結晶が螺旋状にゆっくりとゆっくりと空を舞い降りてきた。
そしてそれはやがて幾筋にも重なり、その軌跡が交じり合い、空を覆い、地表をうっすらと、しかし確実に白く染め上げようとしていた。
降り積もる雪は、その下にある様々な色を覆い隠していく。雪の白はふわりとしたやわらかさと、凛として張り詰めた空気をかもしだしている。ものみの丘を支配するその空気と、頬に当たり溶けていく結晶の冷たさに、祐一は意識を現実に戻した。
足元を見るとそこには鈴のついたゴムの髪留め。
その上に降り積もる雪が薄く積もり、その存在を消そうとしていた。
「わあぁぁぁ!」
それを見た祐一は半ば叫ぶ様に雪を払い、鈴を拾い上げた。その勢いで鈴が小さく鳴ったが、それを一緒に聞いてくれる存在はもうここにはいない。
舞い降りる雪が、そしてこの丘が真琴を奪ってしまった―――
そう思うと祐一は居ても立ってもいられなくなり、手に髪飾りを握り締めたまま何度も何度も地面を叩いた。打ちつける拳が小石に当たり、皮を裂き、血を滲ませてもそれでも構わずに何度も何度も。
冷たさと悲しみが痛いと思う感覚すらも祐一から奪っている。
ザクッ…ザクッ…
ふと地面を叩く音に混じって微かに雪を踏みしめる音が聞こえて来た。その音はやがてはっきりした足音となって祐一の耳にも届き、そして祐一の背後で止まる。
「相沢さん、もうそれ位で止めて下さい」
足音の主が祐一の背中に声を掛けてきた。
振り返るとそこに降り積もる雪を服から払うでもなく、ただ髪を押さえている少女――美汐――がいた。肩に届くか届かないか微妙な長さの髪が、押さえた手の隙間から風で踊っていた。
「相沢さん、真琴は…」
美汐は感情を抑えた様な静かな声で尋ねる。
祐一はうな垂れた頭を左右に振った。その勢いで瞳に溜まった涙が落ちた。
頬を伝う雫で、祐一は初めて自分は泣いているのだ、と悟った。
「そうですか」
美汐はそう言って頷いた。表情はそのままだが瞳の色が重く沈んだ。
「帰りませんか?この場所は相沢さんには残酷過ぎます」
美汐の言葉に祐一は、ゆっくりと立ち上がる。それを見た美汐は振り返って元来た道を帰ろうとする。
「天野」
かけられた言葉に再び振り向く。と、美汐の目の前にすぐ祐一の姿があった。そのまま祐一の腕が美汐の体を抱き締めた。
「相沢さん?」
いきなりなその行動にいささか驚きつつも、それでも声を上げるでもなく美汐は身を任せていた。
「なぐさめて…くれないのか?」
美汐の耳元で祐一が囁く。
「相沢さんは…なぐさめてほしいのですか?」
抱き締められた美汐は小さく呟く。
「……」
「……」
沈黙が辺りを支配する。やがて
「違う」
「ですよね。相沢さんはそんなに弱い人ではないでしょうから」
「でも、しばらくは…こうさせてくれ」
「はい」
慈愛に満ちた優しい声で美汐は頷いた。消えてしまった温もりを確認するかの様に祐一は美汐の体を抱き締めた。美汐もその腕を祐一の背中に回した。
人の温もりが、そして柔らかさが嬉しかった。そしてそれが真琴のものではない事が祐一は悲しかった。
どの位そのままでいただろうか。お互いにゆっくりと腕を離した。
「悪かった、天野」
「いえ、これ位構いません。お気持ちは分かります」
その言葉に祐一は天野も同じ経験をして来たのだと悟った。
「天野の時は…どうだったんだ?」
無神経な質問だと思いつつ、自分の悲しみを何処かに転嫁したくて、気が付くと後悔よりも先に口にしていた。
「……」
美汐は顔を上げる。瞬間、視線が遠くなった。
「…悪かった、嫌な事を思い出させたな。スマン」
自分の言葉が美汐に与える痛みを思い、祐一はすかさず謝る。
「いえ、そんな事はないです。ただ…」
「ただ?」
「すごく久しぶりだな、と思って。あの子の事を思い出したのは」
言い終わった美汐の瞳には既に色が戻っていた。
「聞いて…もらえますか?私の中の、あの子の話…」
そう言うと美汐は思い出す様に瞳を伏せ、訥々と話し始めた。
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