雲頂山日記

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生野町の奥座敷、史跡・生野銀山から車で約30分、静かな山郷にたたずむ湯宿の大将の四方山話を少し。
生野渓谷黒川温泉、山の料理、季節の風景などをご紹介します。のんびりした時間や空気が届いたら、ええなあ。

最終更新日:2016/05/15(2010/08/12公開)


黒川の七所庚申-青面金剛薬叉明王石像

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青面金剛-本村
青面金剛-本村

一面三眼六臂(ろっぴ)。右上手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち、下手には矢、中手で剱を胴前に掲げる。左上手の掌上に法輪を掲げ、下手に弓を持ち、中手は腰前で金剛鈴を持つ。大きく張った口に上向の狗牙が覗き、眼は血の如く赤く、頭髪は逆立ち火焔の如き色であるが、憤怒相というほどの激しさはなく比較的穏かである。頭頂に髑髏を載せて大蛇を纏う。腰に二匹の大赤蛇を纏いつかせ、両脚腕にも大赤蛇が絡まっている。腰に虎皮を捲きつけ、髑髏を瓔珞(ようらく)とす。その身は青色で、両脚下に各一邪鬼を踏みつける。
庚申さんの本尊とされる青面金剛薬叉明王(しょうめん こんごうやしゃ みょうおう)の絵姿です。

この青面金剛の石像が黒川地区に7体あります。簾野(すだれの)、長野、梅ヶ畑、高路(こうろ)、大外(おそと)、黒川本村の各集落と黒川大明寺で奉祀されている石像がそれで、黒川七所(ななとこ)庚申(こうしん)といわれています。いずれも高さが50cmほどの石像です。
この七所庚申のことは、その由来や祭祀についての伝承がなく詳しいことは判りません。所によっては、「七庚申参り」といって7箇所の庚申塔や庚申堂を巡って参拝する風習があったそうですが、黒川のものがそれに当るものかどうかは不明です。
石像には制作者の銘があるだけで、造立の紀年銘や施主の銘もありません。


青面金剛-簾野 青面金剛-長野 青面金剛-梅ヶ畑
青面金剛石像-簾野

青面金剛石像-長野

青面金剛石像-梅ヶ畑

青面金剛-高路 青面金剛-大外 青面金剛-大明寺
青面金剛石像-高路 青面金剛石像-大外 青面金剛石像-大明寺

  ※青面金剛石像の写真の著作権は総て但州広谷庄銀山廻坂町住  西川屋守蔵氏に帰属します。


軍荼利明王 金剛夜叉明王
軍荼利明王(図像抄)金剛夜叉明王(図像抄)

密教の一面三眼八臂の軍荼利(ぐんだり)明王に通ずるものがあるとされる青面金剛ですが、金剛夜叉明王のほうがより近いように思えます。金剛夜叉明王は三面五眼六臂ですが、手にする物が青面金剛と同一で、一面三眼にすると青面金剛にそっくりです。
"行司作" と銘のある黒川の青面金剛では、右上手の武器は金剛杵(こんごうしょ)を表しているように推察できますが、本村のもののみ他と異なっています。いずれも金剛杵とは思えない長さで表現されており、三叉戟(さんさげき)様のものは五鈷杵(ごこしょ)を、錫杖様のものは宝珠杵(ほうじゅしょ)を表しているのでしょうか。


庚申信仰は、中国道教の説く「三尸(さんし)説」をもとに、仏教(特に密教)、神道、修験道や日本のさまざまな民間信仰や習俗などが複雑にからみあっています。
庚申とは干支(えと)の庚(かのえ)(さる)のことで、年や日を表します。庚と申との組み合わせは、陰陽五行説ではどちらも陽の金で比和となり、庚申の年、庚申の日は金気が天地に充満して人の心が冷酷になりやすいとされています。
そして、道教の三尸説では、人間の体内には生れたときから上尸、中尸、下尸の三尸という虫が棲み、60日毎に訪れる庚申の日の夜、睡眠中の体内から抜け出てその人の悪行を天帝に告げに行き、天帝は司命道人(寿命を司る神)に命じてその罪科に応じてその人の寿命を縮めさせるとしています。そこで、三尸の動きを封じるため、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすことを説き、「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が行われるようになりました。
この守庚申が民間に広まり、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという庚申会、庚申待(こうしんまち)の風習ができました。その過程で仏教が介在し、三尸を退治する神として青面金剛なる薬叉明王を案出して、庚申信仰の本尊として奉祀することを広めました。そして、これを信仰する人々は念仏行道や詠歌を行い、酒食を共にしながら夜を徹して現世利益を青面金剛尊に祈るようになりました。

庚申待は家単位や近隣の人たちが集まって庚申講をつくって行われ、3年をかけて18回の庚申待を満願として、二世に亘って御利益があるとされる庚申塚や庚申塔が造立されるようになります。また、庚申の日が7回訪れる年を七庚申の年といい、特別に塚や石塔が建立されました。
庚申塔には文字だけを陰刻したものや青面金剛を陽刻したものがあります。文字だけを刻んだ庚申塔は、当初板碑型のものでしたが、時代が下ると石柱型のものが多くなってきます。青面金剛を刻んだ庚申塔には板碑型と光背型(舟型)があり、多くは「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿も彫られています。三猿が彫られるのは、神道では猿田彦神を庚申の本尊としている場合が多く、庚申の申と猿田彦の猿とを結び付け、猿が庚申の使いとされているためといわれています。
江戸時代初期(寛永期以降)頃から広く建立されるようになった庚申塔は、街道沿いに建てられることが多く、庚申塔の特色とされる道標を彫ったものも多くあります。


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