雲頂山日記

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生野町の奥座敷、史跡・生野銀山から車で約30分、静かな山郷にたたずむ湯宿の大将の四方山話を少し。
生野渓谷黒川温泉、山の料理、季節の風景などをご紹介します。のんびりした時間や空気が届いたら、ええなあ。

最終更新日:2016/05/15(2011/09/26公開)


黒川の屏風神社

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屏風神社-1

国道429号を銀山湖から北上して魚ヶ滝、簾野を過ぎ、なおも北上していくと左方の崖下に祠が見える。これが屏風神社である。大明寺橋から南へ少し下ったところであるが、南下してくると木立が続き、屹立する岩の存在を予見させるものはなにもなく、まさに忽然と現れる感じである。

崖と見えたのは、谷を南北に仕切るようにそそり立つ板状の一枚岩である。横から見ると下部は階段状に少し張り出しているが、上端の厚さは一間に満たない。
屏風神社は、この屏風のような岩を御神体とし、少比古名命(すくなひこなのみこと)を祭神として祀られている。いつのころから祀られているのか定かでないが、その昔、黒川の下流域で疫病が蔓延して多くの死者が出たとき、この岩より上流の集落には禍が及ばなかったことから、疫病などの禍を遮ってくれるあらたかな霊験を認めて祀られ始めたと伝承されている。


屏風神社-2屏風神社-3

屏風神社-4屏風神社-5

祭神のスクナヒコナノミコトは大国主命などの別名を持つ大己貴命(おおなむちのみこと)とともに国造りを行なったとされる常世の国の神。そして医薬、温泉、禁厭(まじない)、穀物霊、知識、酒造など多様な神として、大己貴命と併せて祀られることが多い神である。

※屏風神社ではスクナヒコナノミコトを「少比古名命」としているが、表記は様々である。
  日本書紀=少彦名神(すくなひこなのかみ)
  古事記=少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
  出雲国風土記=須久奈比古命(すくなひこのみこと)
  播磨風土記=小比古尼命(すくなひこねのみこと)
  また少名比古那、須久那美迦微、少日子根とも書かれている。


屏風神社の祀られて入る辺りは播磨灘に注ぐ市川の源流域にあたり、かつては川の名を生野に至るまで黒川(くろがわ)と呼んでいた。「但馬図譜」に「黒川の川底は生野まで三里の間一枚の滑石(なめりいし)なりとは子女の噺にもす。よくよく続きたる石の川底なり」と記されているように、岩床の上を奔る水は川底の堆積物を残らず下流に押し流していたようであるが、水源地付近にダムが建設されたことによりその流れに昔の勢いはない。












 嵌入蛇行は嵌入曲流、穿入(せんにゅう)蛇行、
 穿入曲流、下刻曲流ともいい、地盤の隆起ある
 いは侵食基準面の低下のため、曲流していた川
 が下方侵食を復活し、曲流を保ちながら河床を
 基盤岩中に深く掘り込んで生じる峡谷中の蛇行
 流路。岩盤が硬いか、荷重が少ない場合に生ず
 るとされている。


しかし、地表を深く抉った水流は、嵌入蛇行(かんにゅうだこう)と呼ばれる流路を今に残している。屏風神社の背後、北から流れ下ってきた市川は、屏風神社付近で東へ大きく流れの方向を変えながらさらに南下する。そして、逆流するように北上してきて屏風神社の前へその姿をあらわす。屏風神社横の国道429号の路上に北向きに立つと、道路の右を流れ下った市川が道路の左側に背後から流れてきて、屏風神社の前でさらに左に曲がって流れていくのである。
市川は屏風神社の下流でも蛇行を繰り返しているが、曲流部が道路と離れているため、屏風神社付近が市川の蛇行を目の当たりにできる最良の場所と思える。


屏風神社-6

国道上から見た屏風神社前の市川。写真奥、左(南)から右へ北上して流れる。
往時、祠の前の一段低い位置にある川沿いの境内(?)に土俵が築かれて奉納相撲が行われ、多々良木や青垣からも力自慢が多勢やって来て相撲をとったという。



屏風神社-7

市川は、神社の前で西へ向を変えて流れ下る。



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